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戦後八十年 所信表明

戦後八十年 所信表明 令和七年八月八日 本年、我が国は戦後八十年を迎えました。 私は、この機に、先の大戦において命を呈されたすべての御霊に、謹んで哀悼の誠を捧げ、また、本日まで平和を築き上げてこられた先人の労苦に深甚なる敬意を表するものであります。 我がふるさと長崎もまた、戦火の中にありました。 昭和二十年八月九日、長崎には、原子爆弾が投下され、一瞬にして数万の尊い市民の命が奪われました。 また、大村市には、軍の基地や病院が置かれ、多くの市民がこの地から出撃し、二度と大村の空を見ることなく散華されました。 この地には、静かに眠る御霊たちの無言の問いかけが、今なお息づいております。 私は、本年より、長崎県忠霊塔の奉仕を通じて、名もなき英霊に祈りを捧げ、平和の尊さを伝え続けてまいりました。 慰霊とは、過去に向き合う営みであると同時に、現在と未来に責任を果たす誓いでもあります。 先の大戦がもたらした惨禍の根底には、国家の中央にあらゆる判断と権限が集中し、地域社会の声が顧みられることなく、個々の尊厳が後手になる中央集権の構造的な弊害があったと考えます。 そして同時に、当時の地方自治は未熟であり、地域が国の進路に異議を唱える力を持ち得なかったこともまた、否めない事実であると考えます。 「お上に従うことが美徳」とされ、異論や懸念が抑圧されていったその空気こそが、国家の扇動を止められなかった最大の要因でありました。 この痛切な教訓を、私たちは今こそ直視しなければなりません。 だからこそ、これからの時代に求められるのは、地方の覚醒であり、自らの手で未来を選び取る「住民自治」の確立であります。 政治とは遠くの誰かが命じるものではなく、地域に根差し、人々と共に悩み、歩むものでなければなりません。 私は、地域に生きる一市民として、「地域主権」を軸に、市民とともに歩み続ける所存です。 今、私たちは「戦後」を継承する最後の世代であります。 記憶を風化させず、悲劇を繰り返さず、歴史に学び、未来を拓く責任があります。 平和とは願うものではなく、守り、育み、継承するものであります。 この国を、市民を再び戦火に晒してはならない。 この地に流れた涙と祈りを、決して無にしてはならない。 私は、この八十年の歩みの上に立ち、深い誓いをもってこの所信を表明いたします。 静謐なる鎮魂と、不朽の平和、そして地域の...